静岡県浜松市
1919 年に開校した総合造形学校バウハウスには当初から「舞台工房」が設置されていた。
学長グロピウスが造形家にとって身体による空間の理解がどれほど大切であるかを知っていたため
であり、学生たちにはどのような専門分野を選ぶかにかかわらず舞台工房への参加を全員に促した。
現実には成功したとは言い難い初期の舞台工房ではあったが、学校がワイマールからデッサウに移転
する時期、バウハウスの校風は表現主義から構成主義へと転換を図り、オスカー・シュレンマーが
『トリアデック・バレエ』で新しい身体言語を提示したことで舞台パフォーマンスの意味は刷新される。
2010 年以来デッサウ – バウハウス財団のブルーメ研究員が取り組んできた舞台工房ワークショップ
の今日的活用、デザイン教育の視点を検証する